パウワウおじさんのBook Caf'e

パウワウおじさんの翻訳と書評欄
玩物喪志”

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仕事の合間に、たまたま目に留まったテキストなどからの感想です。
書評と翻訳という行為はバイアスがかかっていて
パウワウおじさんの右往左往する様が手に取るようにばれてしまいます。
※文章が見づらい方はこちらのサイトへジャンプしてご覧ください

No

目 次

 種 類

 作 者

 コメント

1

長くて、青いコート着た少年
The long, blue blazer

童話翻訳

ジェーン・ウィリス  

 ミステリアスで、小さな訪問者の物語

2

子供のころの思い出
Childhood Memory

掌編翻訳

バリー・ユアグラウ

シュールなショート・ショートの中にもこんな小品があるなんて

3

一日が延びて
A Day's Wait

掌編翻訳

アーネスト・ヘミングウェイ

キー・ウエスト時代の作品

4

 オーギーのクリスマス物語
Auggie wren's Christmas Story

短編翻訳

ポール・オースター

 街の一角を撮り続ける男の

クリスマス・ストーリー

5

 収集するものたち
Collectors collectors1.pdf へのリンク
collectors2.pdf へのリンク
collectors3.pdf へのリンク
collectors4.pdf へのリンク

短編翻訳

 レイモンド・カーヴァー

 失業中の男に起こる奇妙な話

原文を読みたい方は左記をクリック

スーザン・バーレィ絵
コメント

ミステリアスで、小さな訪問者の物語

1. 長くて、青いコートを着た少年  ジェーン・ウィリス作 
              スーザン・バーレィ絵


わたしが、5歳の時だった。
クラスに、青くて、長いフランネル製のコートを着たひとり の少年がいた。
腕と脚は短かったが、大きな足は、そのコートの下で目立っていた。

ある冬の日に、彼はやってきた。
雪に覆われた教室をきょろきょろ見回してから、担任の先生と握手をした。
先生は言った。「あなたがウィルソンね。新入生の」
着ている物を掛けて置くように、先生が言うと、
少年は帽子とスカーフとふたまた手袋を脱いだ。
でも、青くて、長いコートは脱がなかった。
その訳を尋ねると、ボクは寒いんだ、と言った。
そこで、女先生は、着せたままにしておいた。

そのあとで、わたしたちは、絵を描いていた。
みんなは、ビニール製の柔らかな前掛けを着けていたが、
ウィルソンは、青くて、長いコートの上に前掛けをしていた。
わたしは、ピンクの花柄で飾ったドレスを着たお母さんを描いたし、
メアリーは、自分のお母さんに緑色のズボンをはかせていた。
でも、ウィルソンの絵は、お母さんに、長くて、青いコートを着せていた。

彼は、給食のときも、そのコートのままだった。同じ格好で、算数問題を解いていた。
体育のときでさえ、その青くて、長いコートは着たままだった。
先生は、彼にそのコートを脱ぐように言った。
しかし、「ボクがそうすると、母さんに怒られるんだ」と言った。
そこで、先生は、そのままにしておいた。

下校の時間になったとき、お母さんはわたしを向かいにやってきた。
でも、ウィルソンにはだれもこなかった。
彼は、青くて、長いコートを着たまま、ひとりで立っていた。空をじっと見上げたまま。
先生は、どうして、お母さんが迎えにこないの、と彼に尋ねた。
少年は、母さんはずっと遠くに住んでいるんだ、と言った。

ウィルソンは、ゆっくり、校門を通って歩いていた。
青くて、長いコートを雪の上にひきずりながら。
先生は、お母さんと話をしていた。
わたしは、ウィルソンの後から走って、お茶に招待することを話した。
それは、彼をハッピーにさせたような気がした。

しかし、お母さんが、そのコートを脱ぐように言ったとき、
少年は、いまにも、泣き出しそうだった。
青くて、長いコートは着せたままにしておいた。
お母さんは、少年に、かなり大きなステーキと肉入りパイを与えてから、
自分のひざの上に座らせた。
少年は、お母さんに自分の腕を回して、泣き出した。ボクは、疲れているんだ、と言った。

お母さんは、ウィルソンをわたしの寝室に運んだ。
パジャマを持ってくるあいだ、椅子に少年を座らせていた。
お母さんが戻ってみると、少年は長くて、青いコートを着たまま、寝床に入って眠っていた。
まわりには、毛布が置いてあった。わたしは、下の寝だなで眠った。

その夜、遅く、ぶんぶんという、やかましい音で目が覚めた。
風で、カーテンがはためいていたので、窓を閉めるために起きあがった。
緑色と黄色の閃光を発している光が見えた。
そこに、窓敷居の上に立っているのは、ウィルソンだった。と、突然、…彼は飛んだ。

最後に、わたしの目にはいってきたは、少年の長くて、青い
尻尾だった!

2009/4/12
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・The long, blue blazer

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2. 子供のころの思い出  バリー・ユアグラウ

父が僕の部屋に入ってくる。「見てごらん」と言って、注意深く、自分の手を開く。 発光して、黄金色に輝く一羽の蝶が、お椀の形にした父の両手におさまっている。 暗い部屋に持ち込んだ明かりのようだ。僕は片腕を枕のように、つっかい棒にして立てたまま、畏敬の念に打たれて、じっと見とれる。 蝶はしばらく、じっとしているが、その次に、羽をぴくぴく動かしている。 蝶が、窓の方に弧を描きながら、光り輝き、ひらひらと飛んでいくのを僕らは見守る。蝶は窓枠の下から、夜のなかへと出ていく。

僕らは階下に降りていき、音を立てないように裏戸を開け、暗い芝生に出た。父は一本の木を指さす。 木のてっぺんのまわりでは、後光が明滅している。その一番てっぺんの葉群で、黄金の群れが空中に舞っている。 「夜じゅう、そこにいるんだよ」と、父はそっと話す。僕はパジャマ姿のまま、父と並んで立って、うっとりさせられる。 夜が寝室に変わったかのような、不思議に、穏やかな魅力を感じている。 「蝶たちは、どこからやってくるんだろう」僕が訊くと、「月からだよ」と、やさしく答える。 「少なくとも」と、父は言う。「いつだって、そう聴かされてきたんだよ」
                                            2009/5/1
                  Childhood Memory
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3. 一日が延びて  アーネスト・ヘミングウェイ

息子が窓を閉めるために、寝室へ入ってきたとき、われわれは、まだベットのなかにいた。 息子は、具合が悪そうだった。ぶるぶる震えていて、血の気のない顔をしている。動けば体が痛むのか、ゆっくりと歩いていた。
「どうかしたのかい。宝物シャッツ?」
「頭痛がするんだ」
ベットに戻ったほうがいい」
「うん、大丈夫なんだ」
「眠ってたほうがいい。服を着たら、パパが見てやるからネ」
でも、階段を降りていくと、息子は服を着たまま、暖炉のそばに座っていた。
9歳の少年にしては、ひどい病人のようで、見る影もない。額に片手を当ててみると、熱があった。
ベットで寝てたほうがいい」私は言った。「おまえは病気なんだ」
「大丈夫だよ」
医者がやってきて、息子の体温を計った。
「何度くらいあります?」私はいた。
「102度ですネ」
階下で、医者は色違いのさまざまなカプセルを出しては、そのみ方を指示をしてくれた。
一つは熱を下げるため、二つ目は下剤、三番目は酸性状態に打ち勝つ薬だ。流感インフルエンザの黴菌は、 酸性の状態でのみ存在できる、と説明してくれた。彼はインフルエンザに精しいらしく、熱が104度以上にならなければ心配には及ばない。 これはインフルエンザの軽いはやりで、肺炎にならなければ、何ら危険なものではありません、と言った。
息子の部屋に戻ってから、私は息子の体温を書きとめ、それぞれの薬を与える時間をノートに書いておいた。
「何か本でも読んでやろうか?」
「ああ、パパがそうしたいなら」と息子は言った。顔はとても青白く、目の下にはくまができていた。 ベットにじっと、横になってはいるが、何をするにも、まるで関心がないようだった。
私がハワード・パイルの『海賊の本』を音読してやっても、息子は耳を傾けていないらしい。
どんな具合だい、シャッツ?」私は訊いた。
「あんまり変わりないなあ」
私はベットの脚もとに座って、次の薬を服ませる頃合を待つあいだ、その本を自分で読んでいた。 自然に息子が眠っているものと思っていたのに、見上げると、奇妙な表情で、ベットの脚もとを見つめていた。
「どうして、眠らないんだい?薬を服む時間になったら、起こしてあげよう」
「どっちかというと、起きていたいんだよ」
しばらくして、息子は言った。「パパ、ずっと僕と一緒じゃなくていいよ。迷惑だもの」
「迷惑なもんか」
「ううん、一緒にいてくれなくったって、いいんだ。悪いでしょう」
息子の頭は、少しふらふらしているらしい。11時に予定の薬を服ませてから、私はしばし、外出した。
晴れてはいたが、寒い日だった。みぞれで覆われた地面は、 ことごとくてついていた。 裸の木々や繁みや切られた藪、それに雑草と裸の地面のすべては、まるで氷でニスを塗ったかのようだった。 私は若いアイリッシュ犬をともなって、凍った小川づたいに、道路のほうへと少しずつ歩いて言った。 しかし、ガラスのような表面の上を、立って歩くことは容易でなく、赤毛の犬もツルッと滑っては、再度、つるつる滑るのだった。 私は二度、転んで、強打した。一度は銃を落っことしてしまい、それが氷の上を滑っていった。 われわれは、ウズラの群れを、藪が生え広がっている、高い粘土質の土手の下から、どっと追いたてた。 ウズラたちが土手のてっぺんのほうに逃れようとする瞬間、私は2羽撃ち落した。 群れの数羽は木々に止まったが、ウズラの大部分は、鬱蒼とした藪のなかに四散した。 ウズラをどっと追い立てる前に、氷で凍てついた土手の藪に、何度か飛び乗る必要があった。 氷の上で、不安定にバランスをとっているあいだに、ウズラが飛び出てくるので、弾力のある藪では、撃ち落すのに手こずった。 仕留めたのは2羽で、撃ち損ないが5羽だが、家の近くに、ウズラの群れがいるのが分かったことが楽しいし、 別の日に、撃つ分は多く残っていることで仕合せな気分になり、帰ってきた。
戻ってみると、家では、息子がだれも自分の部屋へ入れたがらない、という。
「入っちゃだめだよ」息子は言った。「僕の病気をうつしたくないんだ」
息子に近寄ると、私が外出したときのまま、同じ姿勢で寝ていた。顔は青白かったが、頬の上のほうは熱でほてっている。 まだじっとしていて、ベットの脚もとを放心したように見つめていた。
私は熱を計ってみた。
「何度あるの?」
「100度ちょっとかな」102度10分4はあった。
「102度だったよネ」息子は言った。
「だれがそう言ったんだい?」
「お医者さん」
「この体温なら大丈夫さ」私は言った。「何の心配もいらないよ」
「心配じゃないけど」と息子。「でも、考えちゃうんだ」
「考えたりしないで、ちょっと楽にしていないと」
「僕、楽にしているよ」と息子は言って、まっすぐ、前を見た。明らかなのは、息子が何かしら、やっかい事を抱え込んでいるようなのだ。
「これを水で服んでごらん」
「これ、本当に効くのかな?」
「もちろん、効くとも」
私は腰を掛けてから、海賊本を開いて、読みはじめた。しかし、息子が聴いていないのが分かったので、本を読むのを止めた。
「いつ頃、僕は死ぬのかなあ?」
「何だって?」
「あとどれくらいしたら、僕は死ぬのかしらん?」
「お前は死んだりしないさ。一体、どうしたんだい?」
「いや、僕は死んじゃうよ。熱が102度だって、お医者さんが言ったのを聴いていたんだから」
「ひとは、102度の熱では死にはしない。そんなバカげたことを言っちゃダメだよ」
「でも、死んじゃうんだ。フランスの学校にいたとき、熱が44度あったら、ひとは生きられないと、級友たちが言っていたんだ。 僕は102度もあるんだもの」
息子は一日中、死を待っていたのだ、今朝の9時からいままで、ずっと。
「可哀相なシャッツ」私は言った。「シャッツ。それは、マイルとキロメーターのようなものなんだ。 お前は、死んだりなんかしないよ。これは体温の計り方の違いなんだ。フランスの体温計では 37度は正常なんだ。アメリカでは、それが98度に相当するのさ」
「本当なの?」
「その通りだよ」私は言った。「これはマイルとキロの違いみたいなものさ。 時速70マイルで走行しているとき、それは時速何キロか、と云うようなものなんだ」
「そうだったの」
いままでベットの脚もとを注視していたのに、息子の視線は次第に、くつろいでいった。
息子自身を捉えていたものが、徐々になごんでいった。ついに、翌日には、すっかり緊張が解けてしまった。 ちょつと、ささいなことにも、息子はのんきに歓声をあげるのだった。

                                        2009/5/5
A Day's Wait


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5. 収集するものたち レイモント゛・カーウ゛ァー

失業中だった。北の方から何かしらの便りがあるはずだった。私はソファに横になって、雨足を聞いていた。時どき身を持ち上げては、郵便屋が来ないか、とカーテン越しに外を見ていた。
通りには誰もいなかった。人っ子ひとりすら。
また横になって五分と経たないうちに、誰かが玄関先に歩いてくるのが聞こえた。ちょっと立ち止まってから、ノックの音があった。私はまだ横になっていた。郵便屋でないことは分かっていた。彼の足音なら分かる。失業中の者なら、どれほど注意しても注意しすぎることはない。郵便で通知書を受け取ったり、でないとドアの下から押し込まれたりする。彼らがやってくるのは、じかに話しかけたいからだし、とりわけ電話がないときたら。
またノックの音がした。より大きな音。悪い前兆だ。私は体をそっと動かして、玄関の方を見ようとした。誰かがドアの前に立っていた。またまた悪い前兆だ。床鳴りするのが分かっていたから、隣の部屋へそっと逃げて、そこの窓から外を見るわけにもいかない。
もう一度ノックの音。どなたですか、と私は言った。オーブリー・ベルと申しますが、と男は言った。スレーターさんでしようか?
何の用かな?私はソファから声をかけた。
スレーター夫人にあるものをお持ちしました。おくさんが当選なさったんですよ。スレーター夫人はご在宅でしょうか?
スレーター夫人はここには住んでいないんだ。
では、あなたがスレーターさんですね?、と男は言った。スレーターさん……と言って、くしゃみをした。
私はソファから離れた。施錠を解いて、ドアを少し開けた。彼は歳のくった男で、レインコートの下の体は太って、巨きかった。雨がコートから流れ落ちて、彼が携行している奇妙な仕掛けのスーツケースの上に、ぽたぽたと垂れていた。
彼はにやっと笑ってから、大きなケースを下ろした。片手を差し出すと、オーブリー・ベルです、と言った。
用件は何です、と私は言った。
スレーター夫人が、と男は切り出した。スレーター夫人がカードに書き込んでいます。彼は内ポケットからカードを何枚か取り出して、しばらくトランプの札を切るようにした。スレーター夫人が、と彼は読み上げた。東六丁目、南225番地の?スレーター夫人が当選していますね。
彼は帽子を脱ぐと、まじめくさって頷き、帽子をぴしゃっとコートに叩きつけた。何もかもがこれで処理され、ドライブは終わり終着駅に到着してしまったとでもいうように。
彼は待っていた。
ここにスレーター夫人は住んでいませんよ、と私は言った。何が当ったのかな?
ちょっと見てもらわないと、彼は言った。中に入れてもらえないでしょうか?
どうしたものかな。長くかからないならね、と私は言った。これでも結構忙しいんだよ。
かしこまりました、と彼は言った。まずはこのコートを脱がないと。それにゴムの上靴オーバーシューズも。カーペットの上に足跡をつけちゃ悪いですからね。カーペットはお持ちのようですな、ミスター……
彼の目は、そのカーペットを見て光り、それから曇った。彼は身震いし、コートを脱いだ。コートを振ってから、ドアノブの上に、その襟もとを掛けて吊るした。ここが吊り下げるにはちょうどいい、と言った。まったく、ひどい天気ですな。彼はかがんで、オーバーシューズの紐を緩めた。ケースを部屋の中に置いた。オーバーシューズを脱ぐと、スリッパに履き替えて、部屋に入ってきた。
私はドアを閉めた。内履きに見入っていると、彼は言った。W・H・オーデンが初めて中国に滞在したとき、初めから終わりまで、スリッパを履いていたんです。一度も脱がなかった。うおのめなんですよ。
私は肩をすくめた。もう一度、郵便屋の姿を求めて、通りを見下ろした。そしてまたドアを閉めた。
オーブリー・ベルは、じっとカーペットを見ていた。唇をすぼめてから、彼は笑った。笑って、首を横に振った。
何がそんなにおかしいんです?と私は言った。
いや、こりゃ失礼、と彼は言った。再び笑い出した。頭がぼうっとしているみたいだ。熱があるらしい。彼は片手をおでこに当てた。髪はほつれて、帽子をかぶっていた頭皮の周りが、丸い輪になっていた。
熱があるみたいでしょう、と彼は言った。どうかな。熱があるのかもしれない。彼はまだカーペットに見入っていた。アスピリンをお持ちですかね?
まったく、どうしちゃったんです?私は言った。ここで病気にならないでくれよ。こっちには、やることがあるんだから。
彼は首を振っていた。ソファに腰を掛けて、内履きを履いた片足でカーペットをかき回している。
私は台所へ行って、カップをすすぎ、二錠のアスピリンを壜からゆすって出した。
これを、と私は言った。これを飲んだら、もう帰ったほうがいいですよ。
スレーター夫人の代わりに、おっしゃっているんですか?男はいらだちの気持ちを露わにしてから、押し留めた。いや、いや、忘れてください。いま言ったことは、お忘れになってくださいな。彼は顔を拭って、アスピリンを飲み込んだ。目はがらんとした部屋の周辺を眺めまわしていた。努めて、身を前かがみにし、ケースの留め金バックルをかちっと開けた。ケースをどさっと開けると、その仕切られたいくつかの空間には、ホースやブラシやぴかぴかのパイプが整列して詰まっている。それに何やら、小さな車輪を据えつけた重たそうな青い物があった。彼は驚いたように、それらの持ち物に見入った。穏やかな、教会にいるときのような声で言った。これは、何だと思います?
私は近づいてみた。掃除機じゃありませんか。私は買えないんですよ。だめなんだ、掃除機を買うなんて、できっこない、と私は言った。
お見せしたいものがあるんです、と彼は言った。上着のポケットから一枚のカードを取り出した。これをご覧ください、と彼は言った。私にそのカードを手渡した。あなたが買ってくださるとは言ってないです。でも、この署名を見てご覧なさい。これはスレーター夫人の署名じゃありませんか?私はカードを見た。それを手に取ると、光りにかざした。引っ繰り返したが、裏は真っ白だった。それが何だって言うんです?と私は言った。
スレーター夫人のカードは、バスケットのカードの山から無作為に取り出されたのです。何百とあるカードの中からまさに引き当てたんですよ。タダの掃除とカーペット洗浄に当選したのです。スレーター夫人が当選したんです。何の裏もありませんよ。ここで、お宅のマットレスの掃除をしてさしあげます。ミスター……何カ月、何年と過ぎてゆくうちに、マットレスが集めるものをご覧になったら、びっくりですよ。人生の毎日、毎夜、私達は小さなかけらやあれやこれやの薄いひとひらを残しているんです。それらはどこへゆくのか、私たちの小さな断片は? そうです、シーツを通ってマットレスに入るんです。そこなんです!それに枕にも。みんな同じことです。
彼はぴかぴか光る、何本かの長短パイプを振り動かして、そのパーツを連結していた。いまや、組み立てたパイプをホースに差し込んだ。両膝をついて、豚みたいにぶうぶう言った。何かシャベルみたいな類のものをホースにくっつけると、車輪のついた青い物を持ち上げた。
彼はこれから使うつもりのフィルターを、私に調べさせた。
お車はお持ちですかな?と彼は訊いた。
いいえ、車は、と私は言った。車は持っていません。車があったら、あなたをどこかへお連れしていますよ。
まったく残念ですな、と彼は言った。この小型掃除機には60フィートの延長コードがついています。車をお持ちでしたら、この小さな掃除機を車両まで転がして行って、ビロードの敷物や豪華なリクライニング・シートを掃除して差し上げるんですがね。びっくりなさるでしょうよ、私達は永年のあいだ、そういう素敵なシートの中に、どれだけ多くのものを失い、どれだけ多くのものを集めていることか。
ベルさん、と私は言った。あなたは荷物を片付けて、お帰りになったほうがいい、と思う。別に悪気でいっているんじゃないけれど。
しかし彼はコンセントを探して、部屋を眺めまわしていた。ソファの端に一つ見つけた。機械は中におはじきでも入っているみたいな音を立てた。中で何かが緩んでいるようだ。やがてぶーんという、うなりに落ち着いた。

リルケは城から城へと移り住んでいました。成人してからずっとです。後援者たちがいたんですよ、掃除機のうなりより大きな声で彼は言った。自動車にはめったに乗りませんでした。列車を好んだんです。マダム・シャトレとシレ城に住んだヴォルテールをご覧なさいな。彼のデスマスク。その静穏のどけさ。彼はまるで右手を、私の反論を抑えるみたいに上げた。いえ、いえ、適切じゃありません。そんなことを言いなさんな。しかし誰が知っているっていうんです。そう言って彼は振り向くと、掃除機を隣の部屋に引っ張って行った。
そこには、ベットが一つと窓が一つあった。ベットカバーが床の上に積み重なっている。マットレスの上に一つの枕と一枚のシーツがある。彼は枕カバーをはずすと、それからすばやくマットレスからシーツを剥がした。マットレスをじっと見つめ、目の隅から私を見ていた。私は台所へ行って、椅子を持ってきた。入口のところに座って見守った。彼はまずシャベルを手のひらで受けて、吸引力を試した。かがみこんで、掃除機のダイヤルを回した。こいつは全開にしなくっちゃ、と言った。再び吸着を確かめてから、ホースをベットの頭の方へと延ばして、シャベルをマットレスに当てて動かし始めた。シャベルはマットレスを引っ張り込んだ。掃除機はぶんぶん大きな音をあげた。彼はマットレスを三回往復してから、そのスイッチを切った。レバーを押して、蓋をポンと開ける。彼はフィルターを取り出した。このフィルターはデモンストレーション用です。普通に使えば、こいつらがみんな、こんな物がこっちの袋に納まってしまうんです、と彼は言った。その埃のゴミのかたまりの一部を指でつまんだ。カップ一杯分はあるにちがいない。
彼の顔はこちらの表情を見ていた。
それは、私のマツトレスじゃないんだ、と私は言った。椅子から身を乗り出して、興味を示そうとした。
さあ枕だ、と彼は言った。使用済みのフィルターを窓の下枠に置いて、ちょっと外を見た。こっちに振り向くと、枕の端っこを持ってもらえませんか、と彼は言った。
私は立ち上がって、枕のふた隅をつかんだ。何か、両耳でもつかんでいるみたいだ。
これでいいのかな?と私は言った。
彼は頷いた。他の部屋に行って、別のフィルターを持ってきた。
これは、いくらぐらいするんです?と私は言った。
タダ同然ですよ、と彼は言った。紙とプラスチックだけでできているんですからね。高いわけがないです。
彼は足で掃除機のスイッチを入れた。シャベルが枕に沈み込み、まっすぐ移動するように私はしっかり押さえていた。一度。二度。三度。彼はスイッチを切って、フィルターをはずし、何も言わずにそれを掲げた。さっきのフィルターと並べて、それを窓枠のところに置いた。それから、クローゼットのドアを開けた。中を見たが、ネズミ立ち去れと描いた殺鼠剤が一箱あるだけだった。
ポーチの方から足音が聞こえて、郵便の差出口が開き、そしてかちんと閉まった。私たちはたがいの顔を見合った。
彼は掃除機を引っ張って隣の部屋に行き、私はそのあとを追った。
私たちは玄関ドアのそばのカーペットに下向きに落ちた手紙を見た。
私は手紙の方に行きかけた。それから振り返って彼に言った。まだ何かあるのかなあ?遅い時間なのに。こんなカーペット、わざわざ手間をかけるだけ無駄なんだ。そいつは裏に滑り止めのついた12×15インチの綿のカーペットだし、安売り店で買ったものなんだ。手間暇かけたってしょうがないんだから。
吸殻のいっぱい入った灰皿はお持ちですかな?と彼は言った。あるいは植木鉢か、そんなようなものは?一握りの土があれば、なおいいんですがね。
私は灰皿を見つけてきた。彼は受け取ると、中身をカーペットの上にぶちまけた。灰と吸殻を内履きの底で、ごりごりと擦った。また両膝をついて、新しいフィルターを差し込んだ。彼はジャケットを脱いで、ソファの上に放り投げた。腋の下に汗をかいていた。ベルトの上から贅肉が垂れている。彼はシャベルをねじって外し、別の器具をホースに取り付けた。ダイヤルを合わせる。足で機械のスイッチを入れ、使い古したカーペットの上を前後に、繰り返し動かしていた。私は二度、手紙の方に歩きかけた。しかし彼は先を見越して、そのホースのパイプで、えんえん掃除をし続けることで私の行く手を遮っているらしかった。

私は椅子を台所に戻した。また座って、彼の仕事を見物した。しばらくして彼は機械のスイッチを切り、蓋を開けて、沈黙のままフィルターを私のところに持ってきた。埃や髪の毛や小さな砂のような物でびっしりだった。私はフィルターを見た。それから立ち上がって、ゴミ入れに棄てた。
彼はいまでは、着々と仕事をこなしていた。説明は一切なし。緑の液体が何オンスか入った壜を持って、台所にやってきた。壜を蛇口の下に置くと、それを水で満たした。
私はお金なんか払えませんからね、と私は言った。それに私の命がかかっていても、一ドルだってあなたに払えないんだから。まったくの、くたびれ損と看做すしかないんだ。時間の無駄ですよ、と私は言った。
私は隠し立てなんかしたくないんだ。誤解のないようにね。
彼は仕事に精を出していた。別の部品をホースにつけて、何やらややこしいやり方で壜をその新しい部品に懸けるように取り付けた。彼はカーペットの上をゆっくり動いていた。時おりエメラルド色の液体をちょっぴり拭きつけ、ブラシを前後してはカーペットを動かし、泡のかたまりでできた斑点にとりかかっていた。
私は思っていることを全部言ってしまった。台所の椅子に座って、いまやリラックスし、彼の仕事ぶりを見ていた。時たま、私は窓の外の雨を眺めた。暗くなりかけていた。彼は掃除機のスイッチを切った。玄関のドアに近い角のところに彼は立っていた。
コーヒーは飲みます?と私は言った。
彼は、はあはあ息をしていた。顔の汗を拭った。
私はケトルをかけた。お湯が沸いて、二杯のコーヒーを手配するときまでには、彼は何もかも分解して、ケースに戻して収めていた。それから彼は手紙を拾い上げた。手紙に書かれた宛名を読んで、差出人の住所をしげしげと眺めた。その手紙を二つに折り、尻のポケットにしまいこんだ。私は彼をじっと見ていた。ただ、そこまで。コーヒーは冷めはじめていた。
スレーターさん宛てでしたよ、と彼は言った。これは私が処理しときましょう。コーヒーはご遠慮しておきますよ、と彼は言った。カーペットを踏んで歩きたくないですね。いま洗浄したばかりですから。
それもそうですね、と私は言った。それから言った。手紙の宛て先は、確かなのかなあ?
彼はソファのほうに手を伸ばして、ジャケットを取り、それを着た。そして玄関のドアを開けた。まだ雨は降っていた。オーバーシューズの中に足を入れ、紐を結んだ。それからレインコートを着て、振り向いて家の中を見た。
ご覧になりたいのかな?と彼は言った。私の言うことが信じられないですか?
なんか、変な感じだなあ、と私は言った。
では、お暇しましょう、と彼は言った。でも、彼はそこに立ったままだった。掃除機は欲しくはないんですね?
私はその大きなケースを見た。もう閉まって、運ぶばかりになっている。
やっぱり、いらないな、と私は言った。私はすぐここを出てゆくつもりなんですよ。荷物になるだけだから。
よろしい、と言って、彼はドアを閉めた。
2009/5/10
・・・・・・Collectors
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